小市民のオフサイド通信

いや結構序盤でサッカー関係なくなっちゃったよ!

天然パーマと床屋と悲しい一言

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本ブログを読んでくださっている方々、誠にありがとうございます。

 

普段は紳士的で気品が漂い、まるで大仏様のように穏やかなこの俺も、床屋に行った際にはとんでもないモンスターカスタマーと化してしまう。ただそれは決して、カットが気に入らない腹いせに俺が店員さんに殴りかかったり、床屋に火を放つという意味ではない。俺の髪の毛が大仏様の螺髪を凌駕するモンスター級の硬質天然パーマだという意味である。

 

ここで、床屋でのお決まりのパターンを見てみよう。

 

床屋に入店すると必ず、店員さんの顔が一瞬で映画「千と千尋の神隠し」でオクサレ様が油屋に来店したときの湯婆婆のように引きつった笑顔になるので、こちらも「こんな髪質でごめんなさい」と心の中で呟きながら申し訳なさそうにイスに座る。カットについての問答の後、まずは荒れ放題の髪の毛に店員さんが櫛を通すのだが、驚異的な硬さの巻き髪が櫛をガッチリと掴んで離さないため、店員さんが櫛を前から後ろにかけようとすると

ガクンッ「痛っ!」

と、首ごと後ろに持っていかれる

一瞬何が起こったのか理解できない店員さんは、「あ、ごめんなさい!」と言葉を発することが精一杯のようで、それを見てこちらは「こんな髪質で本当にごめんなさい」と首をさすりながらまた心の中で呟くのである。

ファーストコンタクトで「こいつは只者ではない」と察したのか、店員さんは櫛を通すのを諦めると、まるでドラキュラに聖水をかけるかのように、霧吹きを使ってそれは大量の水を吹きかけてくる。

他の人がどれだけの量の水を霧吹きでかけられるのか(あるいは霧吹きすら使わないのか)分からないが、流石に基準値を超えているのではないかと思う。水量が多すぎて、顔全体がプールから上がったばかりの北島康介のようにビショビショになってしまうのだ。しかし、客として店員さんの作業についてはなんも言えねえ立場なので、仕方なく、そのまま水も滴るイイ男となってカットしてもらうのである。

 

ここまでの一連の流れはどのお店でも毎回のお決まりパターンであり、前置きが長くなったが、床屋に行くといつもこのような仕打ちを受けるので、本当はあまり行きたくないのだ。とはいえ、髪の毛だけは成長期の頃と変わらない勢いで伸び続けるため、床屋に行かない訳にもいくまい。

 

そんな訳で、先日、意を決して床屋に行ってきた。引っ越し直後で行きつけのお店も当然なく、初めてのお店だ。あー、嫌だなぁ。前みたいに自慢の硬質巻き毛でお店のバリカンを壊したりしないか不安だなぁ。

 

お店に入ると、女性の店員さんが1人。あまりお喋りの好きな方ではないようで、口数が非常に少ない。

カットの仕上がりの話のときに、軽く天パを自虐してみる。

「この髪質なんで、おしゃれな髪型とか出来ないんですよね〜(笑)」

「……」

 

何か言ってください。無言で流されるとこっちが真剣に悩んでる奴みたいになるじゃないですか。別に俺は大丈夫ですから。まあ返す言葉が見つからないのかもしれないけど。

 

その後も終始哀れみの目でこちらを見ている店員さんだったが、上記のお決まりパターンを一通り終えた後、程なくカットは終了。お金を払って店から出ようとした時、それまでずっと黙っていたその店員さんが絞り出すように一言。

 

 

 

 

 

 

「…あの、本当はもっと、いろんな髪型にしてみたいですよね…

 

 

 

 

 

 

…………………

 

 

 

 

 

 

 

そんな悲しい言葉あります?

 

 

どうやら本当に俺のことを哀れんでいたようである。こんなに深く同情されたことは人生で初めてかもしれない。が、そんなに同情しなくても、別に俺は大丈夫ですから。とても優しい方なのは分かったが、俺は一体どう返したら良かったんだろうか

 

そもそも、「本当は」というのもおかしな話である。俺にとってこの髪の毛は、パラレルワールドでも仮想現実でもない、紛れもなく本当である。いくら冗談のような髪質だからって、ひどいよ店員さん(泣)。

 

客ながら、店員さんに「なんちゅうこと言うねん」と思ってしまった話でした。店員さんごめんなさい。今後ともお世話になります。

 

ではまた。

月旅行と創作活動とプレッシャー

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初めての時事ネタ。先日、zozotownの前澤氏が、民間人として世界初の宇宙旅行に行くことを発表したらしい。詳細についてはニュース等を参照してほしい。

https://m.japan.cnet.com/amp/story/35125771/

 

 

ここで個人的に気になったのは、以下の内容である。

前澤氏は、#dearMoon計画を「創作活動のインスピレーションを得る宇宙を舞台にしたアート・プロジェクト」と位置付ける。というのも、この1週間かかる月周回旅行に最大8名の世界的アーティストを招待し、「月と丸い地球を見て受けたインスピレーションを元に作品を創作してもらう」からだ。そして、こうして生み出された作品を「人類の財産として後世に残したい」としている。

招待するアーティストは、例として画家、音楽家、映像作家、ファッションデザイナーが挙げられている。

恐らく世界中のアーティストが「俺か?俺が招待されるのか?」と色めき立つ中、俺は思う。招待されたアーティスト、プレッシャー半端ないな!と。

 

招待されたアーティストは、帰星後に月旅行から得たインスピレーションをもとに作品を作ることになっている。世間の人は、「あの月から帰ってきた奴、どんな作品を作るんだろうか」と注目する。月旅行に行った民間人は世界初だから、誰もが今までにない斬新な作品やアイデアを期待する。だが考えてみてほしい。月旅行で見る景色は、我々にもなんとなく想像がつく。発達した現代の世界では、様々な宇宙の映像を見ることは珍しくないからだ。それでもアーティストは、宇宙船から見た景色や体験から何かしらのアイデアを思いつかなければならない。恐らくこれは想像よりもはるかに難しいだろう。

例えば歌手が月旅行に行ったとして、世間の人はどんな歌を作るのか大いに期待する。そこで、「カーモンベイビー月旅行♪」などとおちゃらけた歌詞ではバッシングされるし、とにかく月旅行前と後で音楽の何が変わったかに注目が集まっている以上、余程のものを生みださなければならない。これは大変なプレッシャーだろう。もう一度言うが、宇宙の映像に慣れきった現代人が月旅行に行っても、価値観や心境は恐らく変わらない。同行するアーティストは皆、「うわー、想像してた通りの景色だよ。想像を上回ってこないよこれ。月は確かに綺麗だけど、パソコンのデスクトップの宇宙の画像の方が綺麗だよ。どうしよう。何もインスピレーションが湧かないよ…」とさながら顔面を月のように蒼白にして月旅行の行程を進めることになるだろう。

 

決して宇宙に行けなくて僻んでいる訳ではないが、こうなったら宇宙旅行に行く財力のない惨めな我々底辺民間人は、アーティストにプレッシャーをかけることで鬱憤を晴らそうではないか。あの人たち、宇宙まで行ったんだから、さぞかし素晴らしい作品を作るんだろうなー。今までの作品とは別次元のものを作るんだろうなー。楽しみだなあ。だって民間人として初めて宇宙行ったんだもんなー

 

 

 

あーあ、人のお金で宇宙に行く時代か。

ではまた。

ナンプレ(数独)の魅力を語り尽くす

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ナンバープレース、あるいは数独とも呼ばれる遊びをご存知だろうか。ナンプレには中毒性があり、月曜日の夜にナンプレを始めて、気づいたら金曜日の朝だったなんてことも珍しくなく、中には急性中毒で病院に運ばれる患者もいるらしい。しかし中毒症状に苦しむのも道理、ナンプレには語り尽くせない魅力があるのだ。

 

…タイトルの内容が早くも破綻したところで、掻い摘んでナンプレの説明をば。

 

 

 

 

 

 

省略

 

ナンプレWikipediaのリンクだけ貼っておきます。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88

 

 

 

 

 

 

 

 

 

省略。

 

 

ナンプレWikipediaのリンクだけ貼っておきます。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC

 

 

世の中の書籍やサイトには、それぞれ役割があり、ナンプレの歴史を知ることができる文章があれば、またナンプレの解き方を知ることができる文章があるのです。ではこのブログにどんな役割があるのか聞かれると答えに窮するところではありますが、決して説明が面倒だから載せていないわけではないのです。決して。

 

 

 

たださすがに説明不足の為ルールについてWikiから少し引用。

 

☆空いているマスに1〜9のいずれかの数字を入れる。
☆縦・横の各列及び、太線で囲まれた3×3のブロック内に同じ数字が複数入ってはいけない。

 

この説明だけではなんのこっちゃパンと紅茶状態だとは思うが、気になった方はスマホでアプリでも入れてみてはどうだろうか。書店にも多様なナンプレ本があるが、問題数が多く、メモを書く作業が段違いに楽という点で、個人的に携帯アプリを推したい。

 

 

さて不真面目な話に戻ると、夜にナンプレをやりすぎると、数字の配置が夢に出てくることがある。夢の中で「このマスは4か5しか入らないから…」と実際に解き始めることもあり、ナンプレを夢の中でも解いていると考えると、1日10時間くらいはナンプレを解いていると言っても過言ではない。

 

ところでこのブログにリンクを貼るためにWikipediaを覗いたところ、気になる点がちらほら。

 

数独の組み合わせパターン数

数独の組み合わせパターン数は、回転や反射や順列や名前を変更することなどの左右対称を考慮に入れると、54億7273万0538になるとエドラッセルとフレーザージャービスによって示されている[16]。

 

彼らはおそらく暇で暇で仕方がなかったんだろう。しかし、この数字を見ると多くのナンプレアプリで見られる「豪華1000問以上収録!」の謳い文句は、少しも豪華ではないどころかむしろショボいように思えてくる。

 

 

最少個数
数独の初期配置の最少個数は、17個である。2012年1月6日、アイルランドの数学者ゲイリー・マクガイア(英語版)は「数独においてヒントが16個以下のものは解法を持ちえない」ということを証明した。証明にあたっては「ヒッティング・セット・アルゴリズム[5]」を用いて単純化し、2年間で700万CPU時間をかけ、答えにたどり着いた[6]。

 

これまで示された世の中の証明の中でも五本の指に入る生産性のない証明ではないだろうか。遊びに全力な大人はカッコいいと言っても限度があるぞマクガイア。ヒッティング・セット・アルゴリズムさん本人だって、いかにも小難しい名前の理論でありながら自分がたかがパズルゲームの初期配置の証明に使われたと知ったら自尊心が大いに傷ついたに違いない。

 

 

前置きはこのくらいにして、いよいよ本題。ナンプレの最大の魅力は、ただゲームをしているだけなのに知的なオーラが滲み出ることだ。「趣味はぷよぷよです」と言うのと、「趣味は数独です」と言うのとでは、同じパズルゲームなのにさも高尚な趣味に聞こえるのである。

 

さらに、ゲームをしている自分自身も「俺は今ゲームではなく数学の問題に取り組んでいるんだ。決してゲームに没頭して堕落した生活を送っている訳ではない。」と言い訳ができるのである。

 

さらにさらに、「俺はナンプレを解けるような一角の人間なんだ」という優越感も得られる

もし地球に宇宙から侵略者がやって来て、自分の町に降り立った侵略者が、「この町の人間の命が惜しいなら、こいつを解いてみろ!」と町の人にナンプレの問題を提示し、皆が絶望している中、自分がスッと一歩前に出てスラスラとナンプレを解き、侵略者を撃退して町を救い、町で一番美しい娘と結婚するという妄想も捗る。あるいは、地球が環境破壊によって滅亡の危機に陥る中、ノアの方舟によって一部の人間が宇宙に脱出できることになり、方舟に乗れるのはナンプレを解ける人間だけと発表されても、自分は堂々と方舟に乗り込むことができるという妄想も捗るナンプレあれば憂いなし。ナンプレっ子世にはばかる。ナンプレを解くとき、ナンプレもまたこちらを解いているのである。

 

 

…はい。ナンプレの魅力、伝わったでしょうか。今回はナンプレがどういうゲームなのかについて全く言及しなかったため、いつかナンプレ実践編を書くかもしれません。ではまた。

 

 

試合結果を知りたくない男vs情報化社会

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本ブログを読んで下さっている方々、誠にありがとうございます。

 

…駅の構内を、イヤホンで音楽を聞きながら下を向いてトボトボと歩く。電車に乗ったらすぐに本を開き、読書に集中する。当然自分のスマホを開いたり、隣の人のスマホ画面に視線を向けることはない。顔を上げてはいけない。周りの音を聞いてはいけない。電車のドア上部にはニュースを流すモニターがあり、周囲は会話を楽しむ人々で溢れているのだ。もし見てしまったら?もし聞いてしまったら?いや、そんなことは絶対に許されない

 

最寄り駅のホームに降り立っても、顔は上げず、音楽に集中しながら歩く。そのまま家の玄関を開け、真っ先にテレビとレコーダーの電源を入れる。テレビがついたら、目と耳を覆いながら即座に消音ボタンを押し、同時にチャンネルを教育テレビに合わせてレコーダーの起動を待つ。レコーダーが起動したら、薄目を開けて録画リスト一覧の画面まで操作する。ようやく目を見開くと、リストの一番上には「サッカー国際親善試合」の文字が見える。静かにリモコンの決定ボタンを押す。

 

 

 

 

 

 

俺は勝った。

 

 

そう、既に1時間以上前に終了したサッカー日本代表戦の結果を知ることなく帰宅したのだ。あとは録画した試合を楽しむだけだ。あー疲れた。

 

スポーツにおいて、試合を見る前に結果を知ってしまうことほど悲しいことはない。スポーツは結果を知っていても面白いとか、大事なのは結果ではなく過程だ!とかいう自己啓発本のような指摘はやめてほしい。俺はサッカー評論家でもデータ分析官でもないから、結果を楽しんでナンボである。

 

例えば結果が0-0と分かっていて、チャンスシーンで手に汗握り「そこでシュートだ!決めろぉぉ!」と叫ぶヤツはいない。結果を知ってしまった大抵の人は、

「チャンス?どうせ入らないけどね。てかこの後何回チャンス作っても絶対入らないけどねだって結果0-0になるし。どうせ0-0で終わるのに必死こいて走り回ってるの、ウケるんですけど。まじ青春ってやつ?カッチョいー(笑)

と、必死に練習するスポ根マンガの主人公を嘲笑うヤンキー同級生のような冷めた視線で試合を見るに違いない。俺は読めない試合展開にワクワクしたいのである。手に汗をビショビショと握りたいのである。

 

しかし現代の情報化社会では、リアルタイムで試合を見ることができない場合、録画や見逃し配信に辿り着く前に結果を知ってしまうことが多々ある。もう一度言っておくと、この悲しみは、それは大変なものである。牛乳パックがなかなか開かずに爪でガリガリと剥がして、やっと隙間が開いたと思ったら開け口が逆側だったときの悲しみの比ではない

 

よくあるのが、うっかりスマホを開いてニュースアプリなどで結果を知ってしまう場合だ。しかし、残念ながらこれは100%自分が悪い。スマホの画面を見ることと、サッカーの試合結果を知ることはイコールでつながると言っても過言ではない。サッカーの結果はアヤシイ広告のバナーのようにスマホの画面のどこにでも、そして唐突に顔を出す。リンゴを上に投げれば重力によって下に落ちるように、旅館の大浴場のロッカーの施錠を忘れれば財布を盗られるように(号泣)、スマホを開けば試合結果を知ってしまうものである。

 

悲しいのは、他人の会話が耳に入ってきて結果を知ってしまう場合だ。これを逃げ場のない電車内でやられると、行き場のない怒りと絶望で唇を噛みしめながらその場で膝から崩れ落ちることになる。だから前述の通り、他人の会話を絶対に耳に入れないような努力が求められることになる。

ただ、これは他人からすれば仕方のない、というか知ったこっちゃない話である。本当に許せないのは、電車内にあるモニターで流れるニュースである(トレインチャンネルと言うらしい)。何故に電車内でスポーツの速報を流す?だってコナンの新作映画が公開になったって、「本日コナンの新作映画公開!犯人は○田×男と判明!」なんていうニュースの流し方しないでしょうよ。同じことだよスポーツも。モニターは電車の情報だけ流してろよ!

何?モニターなんて見なきゃいいじゃんって?いや、それは違うな。電車に乗るときにはヤフー!乗換案内アプリを手放せないような土地勘のない人間は、モニターの情報で駅を確認しないと目的地で降りられないので、モニターを確認せざるを得ないのである。これがまさに敵のモニターでネタバレしてやれ作戦の悪どいところである。というか電車のモニターと敵対関係にあるのもおかしな話である。

 

このように、高度な情報化社会への進化とネタバレ(スポーツに限らず)の危険性は悲しいかな比例しており、この問題については世界の著名な科学者が警鐘を鳴らしているとかいないとか。ネタバレが死因で亡くなる人も先進国を中心に増えているとかいないとか。こうなったら、俺は慢性的にネタバレの恐怖に苦しめられる患者として立ち上がってやる。ネタバレに怯えるのではなく、ネタバレのない世界を自ら作り上げようではないか。

 

というわけで、電車に乗り込むと同時に、モニターと乗客の口をガムテープで塞ごうとしている奴を見かけたら、それは俺ですぜひ応援してあげて下さい。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

走り出した嵐のメンバーはどうやって明日を迎えに行くのか⁉︎

 

本ブログを読んでくださっている方々、誠にありがとうございます。

 

歌詞にイチャモンを付けるような野暮な真似が許せない、小市民です。

 

 

 

走りだせ〜♪ 走りだせ〜♪明日を迎〜えに行こう〜♪君だけはいストップ。音楽止めて。

 

 

あのーすいません、

 

 

明日を迎えに行くって何だ⁉︎

 

 

こんな感じの歌詞はたまに聴く気がするけど、よーく考えるとわからん。そーいや俺、明日を迎えに行ったことないし。俺の人生経験が嵐に比べて乏しいだけなのだろうか。果たして嵐のメンバーは、どうやって明日を迎えに行ったのだろうか。

 

"迎えに行く"となると、例えば少し家が遠い友人を自分の家に呼ぶときに、

「とりあえずお前ん家の最寄り駅で降りたけど、こっからお前ん家ってどう行くの?」

「あー、じゃあ駅まで迎えに行くわ。」

みたいなことだろうか。つまり、相手が目的地の近くまではたどり着いたけど、目的地までまだ距離があるor目的地までの道がわからない、といったところか。

 

あるいは、夕方、幼稚園に通う子どもを車で迎えに行く場合とか、めでたくお勤めを終えたアニキを舎弟が迎えに行く場合も考えられる。この場合も相手方のところまでこちらが出向くことになる。

 

では、その相手が明日の場合はどうなるんだろうか。

 

明日はいつどこからやってくるのか。

 

時間的側面から考えると、日本時間の24:00きっかりに日本に着いてもらわないと困る。出来れば23:55位にはステージ袖で待機していて欲しい。となると、それに間に合うようにこちらは迎えに行かなければならないということか。

 

 

 

次は空間的側面だ。明日は一体どこからくるのか。この画像にヒントがありそうだ。

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そう、明日といえば、まずは日付変更線を跨いでやってくるものである。だからこちらは日付変更線まで迎えに行かねばなるまい。日付変更線上に行くのは大変なので、世界で最も早く一日が始まるという画像のキリバス共和国という国に行けば良さそうだ。

 

 

 

……

 

 

 

 

 

はい、考察おわり。

 

 

 

どうやら嵐のメンバーは、日本時間24:00に間に合うように、キリバス共和国に移動して明日を迎えに行くらしい。そうかそうか。なるほどね。我々日本人に明日がやって来るのは、まさか嵐が毎日キリバス共和国まで迎えに行ってくれているからだったとは。流石は国民的アイドル。毎日ご苦労様です。

 

 

明日「とりあえず日付変更線まで来たけど、こっから日本ってどう行くの?」

嵐「あー、じゃあキリバスまで迎えに行くわ。」

うんうん、最初に挙げた例と比べても、違和感がないぞ。違和感がない。違和感が…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果てない違和感がここにあるって今確かな声が聞こえるぅぅ!!

 

 

 

ごめんなさい。いくらなんでもガバガバな推論でした。明日とかいう概念に時間的側面とか空間的側面とか言い出したところから、推論が迷宮に迷いこんでしまったみたいです。

 

調べたら東京⇔キリバス共和国の飛行機移動は乗換時間含めて片道55時間かかるらしい。割と遠いな。つまり明日を迎えに行って日本に帰ってきたら既に5日程経っているという、なんとも奇妙なP•A•R•A•D•O•Xが生じてしまうことになる。

 

…というかそもそも、明日って勝手に来るしね。待っていれば勝手に来るものを、わざわざ迎えに行く必要なんてないのである。明日を迎えに行くなんてことは、いくら嵐といえど明日サイドからすれば余計なお節介のトラブルメーカーといったところだろう。

 

結局のところ、"明日を迎えに行こう"というのは前向きに積極的にいこうぜという意味の比喩なのであろう。そう考えると素晴らしい歌詞であることにようやく気づいたよ。ありがとう嵐。ありがとうキリバス共和国 ではまた。

 

(嵐ファンの方々、大変失礼致しました。歌詞を馬鹿にする意図は全くございません。)

 

 

 

 

野球②野球の試合は犯罪の温床だ!

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前ブログの続き。

 

まだおかしい点はある。ストライクゾーンが曖昧すぎるのだ。一球一球、打者の体形と球審の裁量でストライクかボールかが決まるのは、あまりにも雑ではないだろうか。これをサッカーで例えるなら、ピッチの両端にゴールが置かれておらず、「横はキーパーの歩幅○歩分、高さはキーパーが手をいっぱいに伸ばした辺り、この間をボールが通過すればゴール」というルールに則って主審がゴールを判定するようなものである。ね?そう言われると合理的じゃないでしょ?

つまりどうすればいいのかというと、ホームベースの後ろにネットのついたストライクゾーンの大きさの枠を置けばいいのである。まさに目からウ○コ伏せ字にすると急に汚いな。

何?ネットにすると盗塁が刺せなくなるって?いやいや、盗塁というルールがそもそもおかしい。大体塁を盗んで良いわけないだろうが。盗難は立派な犯罪なんだよ!盗まれた被害者(内野)の気持ちを考えろよ。俺なんか今年の年始に旅行先の大浴場で風呂上がりに牛乳を買うために持ってきた財布を盗まれて精神的にも物理的にも凄まじいダメージを受けたんだよ泣。旅行先のホテルで夜中に泣きながら被害届を記入する辛さが分かるか。バカンス気分が吹っ飛んだわ。所持金も吹っ飛んだけど。かましいわ。物を盗んでもいいなんてルール、到底受け入れられないね。

しかし盗塁以外にも実は、野球の試合では重めの犯罪が横行している。試合を見ていると、塁が盗まれたり、打者が"死の球"をぶつけられたり、走者が刺されて死んだり、打者が内野ゴロを打ってしまったがために2人の走者が併せて殺されたりと、物騒な言葉が飛び交っている。どこが紳士のスポーツやねん。デッドボールが"死球"なんて、いくらなんでも直球すぎやしないか(野球だけにね☆)。

用語に"死"や"殺"など物騒な言葉が入っているスポーツは、野球くらいのものだろう。「G鈴木尚、代走で牽制死!」なんてニュースの見出しを野球を知らない人が見れば、塁に出た選手がたちまち帰らぬ人となるようなおぞましいスポーツだと思うに違いない。しかも代走で出場した鈴木尚が、そもそもが塁を盗むことを目的として出てきた怪盗ルパン並の悪党だと知ったら、その治安の悪さに呆れるのではないだろうか。

考えてみてほしい。野球というスポーツがもし無ければ、釘バットなんていう凶器や、野球拳なんていう破廉恥極まりない遊びが作られることもなかったのである。ああおぞましい。

 

 

さてここまで、野球というスポーツの欠陥を糾弾してサッカーの好感度を上げようという目的で野球に文句を言ってきましたが、最後に少しだけ付け加えるならば、サッカー最高本当は野球、大好きなんです。好きな気持ちが裏返ってしまっただけなんです。このブログを読んで宮下投手の死球を受けたクロマティに怒り狂っている野球ファンの方々、どうか振り上げた釘バットを下ろして下さい。あくまでネタなんです。えーと、大変失礼致しました。ではまた。

野球①野球部はなぜ走る

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本ブログを読んでくださっている方々、誠にありがとうございます。

何かを褒めるときに、その比較対象の好感度を下げることで相対的に持ち上げようとする行為が許せない、サッカー大好き小市民です。

 

 

今日は野球の話。

 

 

 

というか、

 

 

 

野球なんてスポーツはおかしい!おかしすぎる!いい加減にしろ野球!という話。

 

まず、ボールが硬すぎる。もはやボールじゃなくて奇跡的に完全な球体をしたの硬さである。「ファールボールにご注意下さい〜」じゃないよ。危ないわ!!たまにボールどころかバットも飛んでくるし。注意喚起のアナウンスってのは、そんなのんびりした口調じゃ伝わらないんだよ。「ファールボールがくるぞぉ!みんな伏せろぉぉお!!」くらいの口調で言わんかい。野球場にいる観客はそのリスクを承知で観戦しに来た命知らずの勇者達とはいえ、ひどいときには場外に打球を飛ばし、罪もない一般人の生活を脅かすこともあるらしい。マツダスタジアム周辺の広島市民あたりは、毎晩丸の打球が家を直撃しないかと不安で眠れないはずである。

 

そもそも中学・高校の野球部からおかしい。野球部はなぜあんなに走り込むのか。下手するとサッカー部より走り込んでいる。それなのに、プロの試合を見ると、走る場面といえば守備でボールを追いかけるときか走塁のとき位のもので、試合の半分程はベンチで座って談笑しているのである。いやスタミナ使わねーじゃねーか!何であんなに走り込むんだよ!

ひどい時には、せめて走って守備位置に向かえばいいものを、プロの中にはリリーフカーなる車に乗ってマウンドまで車で送ってもらう者もいる始末である。だからあの学生時代の走り込みは何だったんだよ!その距離くらい走っていけよ!わざわざ守備位置まで車で送ってもらうって、いつも学習塾まで親に車で送迎してもらってる過保護な子どもか!塾の前の道路に路駐車が並んで邪魔なんだよ!塾くらいチャリで通えよチャリで!

 

学生時代にあれだけ校庭を走り回っておいてプロになってスタジアム内で車を使うのなら、もう高校球児もマリオカートのように全員車で走り込みをすればいいのに。足腰を鍛えるための走りかもしれないが、それならスクワットをするとかアナボリックステロイドを摂取するとか正座した腿の上に重石を積んで耐えるとか、別の方法がありそうなものである。

 

文量が多くなりそうなので、②に続きます。これひょっとして、ブログの使い方間違えてる?